▲ 『マルガリータ王女』ベラスケス(1656) ウィーン美術史美術館蔵


ラヴェルの作品に、『亡き王女のためのパヴァーヌ』という曲がある。パヴァーヌとは、16世紀頃に流行した宮廷舞曲様式のこと。ゆったりとして流麗で、でも透明感のあるこの曲を聴いていると、見たことないはずのきらびやかな王女が、宮廷でしずかに舞踏している姿が、彷彿と浮かんでくる。ラヴェルは、ルーブル美術館で、ベラスケスによるマルガリータ王女の肖像画を見たときにインスピレーションをうけてこの曲を着想した、という説がある。このはなしの真偽のほどはあきらかではないのだが、僕は、ホントなのじゃないかと信じている。なぜなら、あまりに、曲のイメージと、絵の雰囲気が、しっくりくるのである。しっくりきすぎると言っていいぐらい。曲も、絵も、なにか哀切で、儚い感情を呼び起こさせてくれるのである。

それにしても、ベラスケスの描いたマルガリータ王女の絵には、なんでこんなに儚さを感じてしまうのだろう?ラヴェルをしてインスピレーションを湧き上がらせてしまうぐらいに。

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ディエゴ・ベラスケス(1599―1660)は、スペイン王室のフェリペ4世に仕えた宮廷画家である。芸術家につきものの「苦悩や悲劇のドラマ」とは、ほとんど無縁の画家である。彼の生涯で特筆すべきことは、@24歳でフェリペ4世の宮廷画家に抜擢される、A2回ほどイタリアへ旅行へ行く、ぐらいである。それすら別にたいして面白い話ではない。しかし、彼の描いた絵のこととなると、話は別である。彼の画技とその表現手法は、スペイン絵画史上はおろか、西洋絵画史上でも、卓抜している。それは、語り尽くせないほど、凄い。

ベラスケスは、写実的表現の画家といわれる。でも、彼の写実は、ただの写実とはワケが違う。性格の「写実」なのである。モデルの心の中に一歩踏み込んでいって、モデルの性格を表情に引き出させたうえで、素早く写実的に描画する。まるで、腕の良いグラビア写真家が、モデルの女の子にいろいろちょっかいだしつつ良い表情を引き出した上で、その瞬間をパチリと写真におさめるように。これを、ローマ教皇とか、フェリペ国王とか、そういう人たちをモデルにしてやってのけているのである。荘厳な権威を身にまとったイカツい教皇が、ほんのちらりと画家に心を許したように見せる表情。あまり賢そうには見えないフェリペ国王が、嬉しそうにポーズをとっているときの表情。どうやってこの表情をひきだしてきたのだろう?教皇の前で下ネタでも連発したのかもしれない。ただ、これを絵に写し取るときは、モデルが偉い人たちだからといって、誇張などすることなく、きわめて写実的に描き切る。といっても、冷徹に突き放しているわけでなく、画家の視線はあくまで暖かい。このように、ベラスケスの肖像画では、完璧な画面構成・色彩構成の上に、生々しい人間性がくっきり描き込まれているのである。この、客観的な内面描写 ― これこそが、ベラスケスが「画家の中の画家(by モネ)」「王の中の王(byド・スタール)」と後世の画家たちに絶賛されるゆえんである。

1651年 ― ベラスケス52歳のとき ― フェリペ国王夫妻の間に王女・マルガリータが生まれてからは、ベラスケスはしばしばこの王女をモデルに絵の製作を行うようになる。皇太子や王女の肖像を描くことは、宮廷画家にとっては重要な仕事なのである。成長の記録、というだけではなく、婚約 ― 政略結婚だと幼児期に決まることも多い ― を行うときの見合い写真的な意味もあるからだ。さて、この性格描写の天才は、マルガリータ王女をどう描いたか。いかんせん、相手は子供である。3歳児の女の子に、天才画家が本気で描き出すに値する精神の内面など存在しようはずがない。だからといって、ベラスケスは王女の肖像を、適当に描いたりなどはしていない。王女を描くにあったっては、「性格描出」とはまた別の、ある一貫したテーマ性のようなものを感じる。冒頭でも述べたように、なにか、絵に儚さを感じさせるのである。どういうことなのだろう?

それを解くカギは、『ラス・メニナス』にある。


▲   『ラス・メニナス』 ベラスケス (1656)  プラド美術館蔵


『ラス・メニナス(女官たち)』は、ベラスケス盛期の傑作である。画面構成が複雑でなぞめいているので、古今より語り尽くされてきた名画である。でも、肝心な所はあまり語られていない。まず、この絵に描かれている風景を簡単に説明する。たとえばWikipediaではこんな風に解説されてある:「王女マルガリータを中心に侍女、当時の宮廷に仕えていた矮人(わいじん)などが描かれ、画面向かって左には巨大なキャンバスの前でまさに制作中のベラスケス自身の姿が誇らしげに描かれている。中心の王女マルガリータを含め、画中の人物は鑑賞者の方へ視線を向けており、何かに気付いて一瞬、動作を止めたようなポーズで描かれている。その「何か」は画面奥の壁に描き表された鏡に暗示されている。この小さな鏡にぼんやりと映るのは国王フェリぺ4世夫妻の姿であり、この絵の鑑賞者の位置に立って画中の人物たちを眺めているのは実は国王その人である。」

つまり、この絵に描かれている風景は、「フェリペ4世夫妻の視点からみた宮廷風景」なのである。

さて、ここまで複雑な舞台装置を作り上げながら、ベラスケスはいったい何を表現したかったのだろう?「自分の画技を自慢したかった。」それもあるかもしれない。でも、たぶん、彼はもっと深いものを表現したかったのだと思う。それは、「フェリペ4世夫妻から、マルガリータ王女への、愛情のまなざし」。つまり、国王夫妻からの視点を再現することによって、国王夫妻の王女に対する愛情(という、とても主観的で形のないもの)を、客観的に表現したかったのではないか。「まなざし」――視線は自然に中央の王女へと向かい、威圧的なカンバス、自慢げな画家、退屈そうな犬、世話焼きの女官たち・・に囲まれながら、小さくもきらびやかに凛と立っている王女に、なにか可笑しみを感じ、微笑してしまう――そういう「まなざし」自体を、絵の中に再現させることによって。

このように、内面描画の天才は、まだ子供である王女に対しては、「周囲からの愛情」というものを表現してみせたのである。儚いはずである。絵の鑑賞者である僕らは、マルガリータの親のまなざしで彼女を見さされているのだから。これを、ベラスケスという画家は、偶然ではなく、計算してやっているのである。

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マルガリータは13歳の時、神聖ローマ皇帝レオポルド1世に嫁ぐ。皇帝に愛され、幸福な宮廷生活だったらしいが、難産がたたって22歳の若さでこの世を去ることとなる。ベラスケスは、マルガリータ王女が9歳の時に病気で他界している。



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