2006年05月21日
蔡國強のイベント
いまメトロポリタン美術館で、蔡國強の野外イベントをやっているというので、見に行ってきた。
蔡國強 (Cai Guo-Qiang, 1957-) は中国出身の現代美術作家で、爆発物を用いた作品を得意とする。日本にも 1986 年から 9 年間滞在している。なんとなく若い頃の顔が僕の友達のしきね君に似ている。
蔡國強は、初期は中国の原始美術を題材にした作品を制作していた。「自分はシルクロードやチベット高原を旅したり、ふるさとの福建の自然のなかに残る原始の洞窟画や神話を題材にして、人間の普遍性を求めていた(*)」と彼は語る。80年代より、火薬を用いた作品の制作も行い始める。「創造と破壊を人類にもたらした、中国四大発明のひとつである火薬を使って、その爆発の瞬間に規制にみちた有限の現実をこえて、宇宙の本源に還る(*)」ということらしい。(* 美術手帖 2005/12 より)
まあそういうわけで、彼の爆発系の作品に僕は興味を持っていたわけだが、ちょうどいま、メトロポリタン美術館で、木曜~日曜のみ毎日12時にベランダで蔡國強の爆発物打ち上げイベントがある、という情報を知ったので、さっそく見に行ったわけです。
日曜の12時ちょっと前に MET の屋上ベランダに行くと、2~30 人の人でにぎわっていた。そして、12 時きっかりに、爆薬がぱーん、と一発打ち上げられて、写真とおんなじ黒い雲ができあがった。みんな、おーっ、とどよめく。さあ次はどんなのが打ち上げられるのだろうか、とわくわくして待っていると、係の人がそそくさと片付け始めた。どうも、1日に1発しか打ち上げられないみたい。うーん、さすがにこれではものたりん。。。せめて5発ぐらい打ち上げてくれないと。。というわけでどうも今回のイベントだけではなんだかよくわからんかった。次回に期待。
投稿者 sfujisawa : 22:09 | コメント (6) | トラックバック
2006年02月19日
Rauschenberg 展
いま、メトロポリタン美術館でラウシェンバーグ展をやっている。それで、1ヶ月ほど前に見に行って来たのだが、全く理解できなかった。。さすがネオ・ダダ。
くやしかったので、図録を買って勉強して、しかも同じ展覧会に計3回見に行った。それだけ見るとさすがに目が慣れてきて、ラウシェンバーグのすばらしさがだんだんと分かってきたわけであります。
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ロバート・ラウシェンバーグ (1925-) はテキサス出身の画家。最も活躍した時期は抽象表現主義(1950年代)とポップアート(1960年代)の間あたり。「ネオ・ダダ」と分類されている。
1950 年代は、抽象表現主義(ポロックやデ・クーニングなど)の全盛期で、「ニューヨーク派の勝利」といわれるほど評価されていたのだが、それに対して、ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズは抽象表現主義を乗り越える試みを行う。彼らの目標は、生活と芸術との境界を取り払うことだったという。
ラウシェンバーグといえば、以下のエピソードが有名:
1953 年の秋、作家としての活動を始めてまだ間もないロバート・ラウシェンバーグは、21 歳も年上で既に抽象表現主義の代表的な作家としてゆるぎない名声を確立していたヴィレム・デ・クーニングの元を訪れた。ラウシェンバーグは尊敬する作家に向かってイメージを消すことによって作品を制作してみたいと提案し、デ・クーニングから一枚のドローイングを受けとった。そのドローイングは「本人さえも惜しいと思うほど重要であり、消すことが困難な作品」であったという。4 週間とも 6 週間ともいわれる長い期間、ラウシェンバーグは消しゴムでドローイングを拭き取ることを続け、ようやく最初に書かれていたドローイングが消失した。ラウシェンバーグはこの作品に「ロバート・ラウシェンバーグ作≪消されたデ・クーニングのドローイング≫ 1953 年」というキャプションをつけ、麗々しい金色の額縁の中に収めた。(「痕跡-過酷なる現実としての美術」尾崎信一郎 より) |
これがその作品。
さて、ラウシェンバーグは、1954 年あたりから、"Combines" と名付けられた一連の作品を作成し始める。今回の展覧会では、この Conbines シリーズのみを 67 点展示している。
この Combines シリーズの特徴は、
・新聞の切り抜きや写真や絵のコピーなどをカンバスを貼り付けてコラージュにする。
・さらに身の回りの生活用品(布団だの靴下だの時計だの)をカンバスに貼り付けている。
・そのうえに激しい筆致でペイントする。
例えばこの作品(Untitiled 1955)。カンバスにはメモ書きやら古めいた写真やら布きれやらニワトリのマグネットやらへんてこなヌード写真やらが無差別に貼り付けられて、画面からなんかすごい生活感の漂ってくる。その上から、抽象表現主義を思わせるような強い筆致でペイントすることにより、緊張感と調和が生まれるわけです。
こうした作品群は、身近な事物が素材になりうる、という新たなネタを美術界与えたわけで、若手画家たちに大きな影響を与えた。その結果、1960 年代に、ウォーホルとかリキテンシュタインとかを中心としたポップ・アートが生まれることになる。これが 50 年代から 60 年代にかけてのアメリカ美術の大まかな流れ。(ただ、ポップ・アート自体はラウシェンバーグの方向性とは別の方向に発展して行った。)
補足。
この写真、ラウシェンバーグの制作風景。手でベターっと絵の具(ペンキ?)を塗ってて、まさに抽象表現って感じ。こうしてみると、ラウシェンバーグは別に抽象表現主義を否定しようとしたのではなく、生活的なものと融合させたかった、ってことなんでしょうね。
投稿者 sfujisawa : 19:56 | コメント (0)
2005年12月31日
今年行った展覧会
今年行った展覧会 ベスト3
1位 東京国立西洋美術館 ラ・トゥール展 ☆☆☆
企画:高橋明也(国立西洋美術館主任研究官)
ジョルジュ・ラ・トゥールは17世紀のフランスの画家。現在、真作は40点程しか残ってないのだが、この展覧会ではそのうち 20点近くを集めて来ていた。これは驚異的な数。どこの美術館でもラ・トゥールは目玉だから、貸してもらうのには相当苦労したであろう。
展示も良かった。初期の作品(「キリストと十二使徒」など)から、成熟期の作品までバランス良く配されていた。とくに、初期は古典主義的でがっちりとした絵を描いていたのが、成熟期に行くにしたがって、炎の光を効果的に用いた神秘的・幻想的な絵へと変化していく様子がじっくりと追えて良かった。
それで、今回のキュレーションで特に素晴らしかったのは、その初期作品と成熟期作品の展示室の間に、ラ・トゥールと同時代のフランスの画家、ジャック・カロの戦争画の版画を一枚展示していたところである。
おそらく、キュレーターの言わんとするところは、こうである:「ラ・トゥールやカロの生きた時代は、このような戦乱が暗い影を落としていた時代でもあった。カロは、その現実を直視して、諧謔を交えた版画を作製した。一方、ラ・トゥールは厳密な写実による性格描画から幻想的な描写へと変化していった。この「現実と幻想」という対比に注意して、ラ・トゥールを鑑賞してみてください。」
一枚こういう絵を置くことで、展示に深み(奥行き)が出てくる。さすが、と思わせるキュレーションでありました。
ところで、このページに企画者の高橋明也のインタビューが載ってて面白いです。『聖トマス』購入時の話とかも載ってます。
1位 東京国立近代美術館 『痕跡』展 ☆☆☆
企画:尾崎信一郎(京都国立近代美術館主任研究官)
タイトルだけからは何の展覧会なのかさっぱり分からなかったので、あまり期待しないで見に行ったのだが、予想に反して素晴らしい展示であった。アンフォルメル~抽象表現主義以降の現代美術の流れを、「痕跡」という観点からとらえ直そう、という企画展示。目からウロコ、というか、あまりにも素晴らしくて、1ヶ月ぐらいショックを引きずってしまった。これについてはまたそのうち丁寧に書くと思います。
ベスト3といいつつ2つで終わってしまいましたが、その他の展覧会:
東京国立近代美術館 ゴッホ展 ☆
東京都現代美術館 イサム・ノグチ展
メトロポリタン美術館 常設展 ☆☆
メトロポリタン美術館 マティス展 ☆
メトロポリタン美術館 アンジェリコ展 ☆
メトロポリタン美術館 ゴッホ素描展 ☆
ワシントンナショナルギャラリー 常設展 ☆☆
MoMA セザンヌとピサロ展
MoMA 常設展 ☆
ホイットニー美術館 常設展 ☆
ノイエ美術館 シーレ展 ☆☆
PS1現代美術館 ☆☆
今年はバタバタしてたから、あんまり展覧会の数をこなせなかったですね。それにしても、横浜トリエンナーレは行きたかったなぁ。行った人がいたらまた感想を聞かせてください。
投稿者 sfujisawa : 20:07 | コメント (0)
2005年12月20日
美術コーナー
えっと、唐突ですが、今日から、美術についての新コーナーを始めてみます。
このコーナーでは、僕なりの絵画の読み解き方を、ちょっと長めの文章で紹介していきます。
今回は、「マルガリータ王女とベラスケス」。(←ちょっと長いので別ページにリンクしてます。)これは、以前、メトロポリタン美術館でベラスケスの絵を見ているときにふと思いついた文章です。お暇なときにでも読んでみてください。
投稿者 sfujisawa : 23:54 | コメント (0)
2005年12月18日
シーレ展
週末は、ノイエギャラリーのシーレ展へ行ってきた。
ノイエギャラリーは、メトロポリタン美術館のすぐそばにある小さい美術館で、主にドイツ~ウィーンの、分離派・表現主義・バウハウスあたりを収蔵する。展示は少し貴族趣味が入ってて、異常に高い位置に絵が展示されてあったりして見づらかったりもするのだが、コレクション自体のセンスは非常に優れている。
シーレは、表現主義の代表的な画家。1890年生まれー1918年没、享年28歳。(って今の僕の年齢やん!)今回はこのシーレを中心にした展示。とくにデッサンの展示がすばらしかった。
シーレには人物画のデッサンが多いが、その特徴は、
(1)不自然な姿勢
(2)強い輪郭線
(3)ムラの強い彩色
線は、鉛筆で、常に同じ強さで一気に描かれている。そのために、不自然な姿勢であるが故に出てくる特徴的な体の線が、際立って見え、絵に緊張感とダイナミズムを生じさせてる。
このデッサンの上に、彼独特のムラの強い彩色、パッチ的な塗りにより、肌の質感を出している。色彩的には、赤と緑という補色の関係にある色の並置などにより、立体感をだしている。
と、書いてみたものの、なんでこんなにシーレの彩色が理不尽なほど質感をもっているのか、じつのところ僕には論理的にうまく説明できない。ちょちょ、っと色を付けるだけであり得ないぐらい絵がイキイキとしてくるのである。ほとんど魔法だね。
▲ 左から、Mother and Child (1910)、Kneling Semi-nude (1917)、Friendship (1913)
投稿者 sfujisawa : 22:46 | コメント (4)
2005年12月11日
チェルシー
週末は、またぶらぶらとマンハッタンへ絵を見に行く。今回は、チェルシーでギャラリー巡り。チェルシーとは、Penn station の南あたりの地区のこと。チェルシーの 22nd~24th Street のあたりはギャラリーが集中しており、通りの両側がすべてギャラリー。しかも、見るだけなら基本的に無料。日本のギャラリーはひやかしでは入りにくいのだが、マンハッタンのギャラリーは観光客でけっこうにぎわっており、とても中に入りやすい感じ。扱っているのはだいたい現代作家の作品が多く、玉石混交といった感じで面白い。
いちばん良かったのは、Matthew Marks Gallery の Roni Horn 展かな。これは他のギャラリーと比べて少しレベルが高かった。Roni Horn は、僕は初めて見た名前だったが、もうすでにけっこう名の通った現代作家らしい。ある、空間的・時間的に連続的な広がりをもつ「何か」を、あえて分割・静止・再構成して提示することにより、その「何か」の連続性や広がりをかえって強く感じさせる、そういう内容の作品。
あと、Gagosian Gallery の全く意味の分からないビデオ展示も面白かった。とにかく派手でやかましくて、あんまり深くない。でも面白かった。
あと、Luhring Augustine Gallery の チェス展もおもしろかったかな。
ついでに、メトロポリタン美術館にも行って、アンジェリコ展とゴッホ素描展を見てくる。
フラ・アンジェリコは15世紀、初期ルネッサンスの画家。ルネッサンスはまとめて見る機会がなかなかないので、こういう企画展示は勉強になる。初期から成熟期までの作品が多かったので、空間構成や表情、ダイナミクスさが、時代を追うごとにどんどん良くなっていき、画家の成長が見て取れて面白かった。でも、「受胎告知」などの代表作は来ていなかったので残念。
ゴッホ素描展は、素描だけなのでそれほど期待してなかったが、初期作品からアルル時代、サン・レミ時代、オーヴェール時代のそれぞれの作品をしっかり集めていて、思ってたのよりかなり良い展示だった。例えば、初期作品では、鉛筆で、一本の草、一個のレンガまでも、細かく細かく徹底的に書き込んで、濃密なデッサンを行っている。一方、アルル時代では、茶色ペンを使って、線のストロークをやや長めにして、初期時代より線を省略して、しかし、濃密さは損なっていないデッサンを行っている。(おそらく、油彩に仕上げることを意識したデッサン。)いずれにしても、デッサンの段階で本気で試行錯誤して取り組んでいるのが分かる絵で、ゾクッとさせられる展示でありました。
投稿者 sfujisawa : 23:56 | コメント (4)
2005年12月04日
PS1
今日朝、起きて外に出てみると、雪が積もってた。15cmぐらい。初雪ですよ。駐車場(屋根なし)においてある車が雪をかぶって埋もれていた。雪かきして車を取り出すがめんどくさかったので、バスでマンハッタンの美術館にでも行くことにする。
今日は、Queens にある「PS1現代美術館」に行ってみる。ホイットニー美術館は、既に評価の固まっている現代作家の展示を行うのに対し、PS1はまだ評価の固まっていない現代作家の展示を行う。
現代美術の楽しみのひとつは、自分の想定外の度肝を抜かれるような作品に出会える可能性がある、ということ。逆に、評価が固まってないぶん、ハズレも多い。
で、PS1は今回始めていったみたのだが、期待していたのよりもかなり良かった。作家も才能ある人が多かったし、キュレーションもしっかりしてた。トイレにまでビデオ作品を設置するこだわり様。これは常連になりそうな感じ。
展示も多種多彩で飽きなかった。以下、面白かった展示。
・ Woman of Many Faces: Isabelle Huppert
Isabelle Huppert というのは、フランスの有名な女優(らしい)。写真展示というと、普通はひとりの写真家が撮った写真を並べるが、この展示では、被写体のほうが Isabelle Huppert ひとりで、写真家は複数、というもの。Isabelle Huppert というひとりの女性を、複数の写真家の目から切り出して、その内面を浮かび上がらせようという企画。100枚以上の中~大型の写真が展示室に飾られていてけっこう圧巻。この展示では、Isabelle Huppert は、油断のない、女優としての顔として写真に写っている。写真家との間に緊張感のある距離を保ったまま、しかし、被写体の内面の何かを描き出そうとしている、というところが実に面白かった。
・ Jon Kessler:The Palace at 4 A.M.
展示室には怪しげな機械仕掛けの人形やら、自走式のビデオカメラやら、テレビなどが大量に設置してある。ビデオカメラたちは、ぐるぐる回りながらその機械仕掛けの人形などを収録し、テレビがそれをリアルタイムで映し出す、という作品。こう文章にしてみると何が面白いのか全く伝わらないと思うが、しかしこの展示はすばらしかった。圧倒的。そのうち日本でも展示があるかもですね。
* * *
さて、帰りはバスを間違えて大変だった。いつもと同じバスに乗ったつもりなのだが、バスは、わが町 Fort Lee を通過して、ハイウェイに乗って、内陸部の方へ突っ走っていく。これはやばいと思って、途中で下車したものの、下車した場所はけっこう郊外の閑散としたところ。Fort Lee 行きのバス停を見つけるのに、20分ほど雪道を歩くはめになった。寒かったー。。(いろんな意味で)
▲ PS1現代美術館。小学校の校舎を改築したもので、けっこう趣がある。