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2006年02月19日
Rauschenberg 展
いま、メトロポリタン美術館でラウシェンバーグ展をやっている。それで、1ヶ月ほど前に見に行って来たのだが、全く理解できなかった。。さすがネオ・ダダ。
くやしかったので、図録を買って勉強して、しかも同じ展覧会に計3回見に行った。それだけ見るとさすがに目が慣れてきて、ラウシェンバーグのすばらしさがだんだんと分かってきたわけであります。
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ロバート・ラウシェンバーグ (1925-) はテキサス出身の画家。最も活躍した時期は抽象表現主義(1950年代)とポップアート(1960年代)の間あたり。「ネオ・ダダ」と分類されている。
1950 年代は、抽象表現主義(ポロックやデ・クーニングなど)の全盛期で、「ニューヨーク派の勝利」といわれるほど評価されていたのだが、それに対して、ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズは抽象表現主義を乗り越える試みを行う。彼らの目標は、生活と芸術との境界を取り払うことだったという。
ラウシェンバーグといえば、以下のエピソードが有名:
1953 年の秋、作家としての活動を始めてまだ間もないロバート・ラウシェンバーグは、21 歳も年上で既に抽象表現主義の代表的な作家としてゆるぎない名声を確立していたヴィレム・デ・クーニングの元を訪れた。ラウシェンバーグは尊敬する作家に向かってイメージを消すことによって作品を制作してみたいと提案し、デ・クーニングから一枚のドローイングを受けとった。そのドローイングは「本人さえも惜しいと思うほど重要であり、消すことが困難な作品」であったという。4 週間とも 6 週間ともいわれる長い期間、ラウシェンバーグは消しゴムでドローイングを拭き取ることを続け、ようやく最初に書かれていたドローイングが消失した。ラウシェンバーグはこの作品に「ロバート・ラウシェンバーグ作≪消されたデ・クーニングのドローイング≫ 1953 年」というキャプションをつけ、麗々しい金色の額縁の中に収めた。(「痕跡-過酷なる現実としての美術」尾崎信一郎 より) |
これがその作品。
さて、ラウシェンバーグは、1954 年あたりから、"Combines" と名付けられた一連の作品を作成し始める。今回の展覧会では、この Conbines シリーズのみを 67 点展示している。
この Combines シリーズの特徴は、
・新聞の切り抜きや写真や絵のコピーなどをカンバスを貼り付けてコラージュにする。
・さらに身の回りの生活用品(布団だの靴下だの時計だの)をカンバスに貼り付けている。
・そのうえに激しい筆致でペイントする。
例えばこの作品(Untitiled 1955)。カンバスにはメモ書きやら古めいた写真やら布きれやらニワトリのマグネットやらへんてこなヌード写真やらが無差別に貼り付けられて、画面からなんかすごい生活感の漂ってくる。その上から、抽象表現主義を思わせるような強い筆致でペイントすることにより、緊張感と調和が生まれるわけです。
こうした作品群は、身近な事物が素材になりうる、という新たなネタを美術界与えたわけで、若手画家たちに大きな影響を与えた。その結果、1960 年代に、ウォーホルとかリキテンシュタインとかを中心としたポップ・アートが生まれることになる。これが 50 年代から 60 年代にかけてのアメリカ美術の大まかな流れ。(ただ、ポップ・アート自体はラウシェンバーグの方向性とは別の方向に発展して行った。)
補足。
この写真、ラウシェンバーグの制作風景。手でベターっと絵の具(ペンキ?)を塗ってて、まさに抽象表現って感じ。こうしてみると、ラウシェンバーグは別に抽象表現主義を否定しようとしたのではなく、生活的なものと融合させたかった、ってことなんでしょうね。
投稿者 sfujisawa : 2006年02月19日 19:56
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